希望への旅

 トカラモネス共和国は人口800万人。1980年代の終わりに共産主義の国から独立し、観光と漁業を主体とする経済のもと、わずか10年あまりで国家の財政を黒字に転換させた「奇跡の国」だ。
 四方を海に囲まれ、起伏に富んだ地形は、工業化の波から取り残される代わりに、手つかずの自然を残す結果となり、それが近年のエコツーリズムのブームに乗って、世界中から多くの観光客を呼び寄せることとなった。
 多用な民族と宗教によって構成されながら、独立後さしたる政治不安も経験することなく、安定した経済力を誇るトカラモネスは、数ある旧共産国の中でも「モデル国家」として、政治や経済の専門家たちの注目を集めている。
 独立運動の中心となった初代大統領セバネイル・ムルトは、「自由と多様性」を国家の基本方針と定め、それ以後10年以上もの間大統領として、国民の圧倒的な支持を得てきた。

 和田は本を閉じると、冷たくなったお茶を一気に飲み干した。本の表紙にはトカラモネスの森林の写真を背景に、肉太の文字で『最後の楽園』とある。トカラモネスについて知れば知るほど、自分がそこに行くべき運命にあるかのような錯覚にとらわれた。
 自由と多様性という言葉は、長いこと日本で暮らしてきた和田にとって、抗しがたい魅力を放っていた。家族もなく、職さえも失った和田には今、自分が所属すべきものが見当たらない。肩書きのない個人に対する風当たりが強いのは、日本社会の大きな特徴だった。そうした周囲からのプレッシャーを日毎に強く感じるようになり、和田はどこかに自分の逃げ場を探していた。一人の人間として、誇りを持って生きられる場所が必要だった。

 数回の呼び出し音の後に応対に出た女性は、無機質な声で和田の質問に答えた。
「出発日は毎週月曜日です。トルコ航空でイスタンブールまで行き、そこからパラダイス・エアーでトカラモネスの首都ホープ・シティーに行きます」
「ホープ・シティー?確かトカラモネスの首都はヴァラトバだったのでは・・・」
「ええ、2年前までは。国のイメージアップのために、名前を変えたようです」
「そうでしたか・・・どうも私の読んだ本が古かったようです」
「ご出発はいつになさいますか?」
「2週間・・・いや、来週の月曜日だとまだ席は残っていますか?」
「少々お待ちください」
 受話器の向こうからキーボードを叩く音が聞こえる。飛行機の空席があるかどうか調べているのだろう。和田が手持ちぶさたに手帳をめくっていると、「もしもし」と声が聞こえた。
「大丈夫です、お一人様ですね」
「ええ、お願いします」
「かしこまりました。それではご旅行に際して必要な手続きを今から簡単にご説明したしますので、メモのご用意をお願いいたします。和田様のご出発便は月曜日のトルコ航空38便、成田のご出発時間は・・・」

 それから2日後、和田のもとにチケットが届けられた。厚みのある茶封筒には航空券とともに、旅行に関する様々な書類やパンフレットが同封されていた。和田はその一つ一つを丁寧に取り出し、畳の上で皺を伸ばすと丹念に読み始めた。
「トカラモネスは自由と多様性を尊ぶ理想国家です。ここには訪れる人々をもてなす特別な施設がない代わりに、遠方からお越しになる方々を暖かく迎える人々の笑顔があります」
 その言葉で始まる政府のパンフレットは、およそ12ページにわたってトカラモネスについて説明されていた。税金がなく、国家の重要な政策は国民の直接投票によって決められること。教育は小学校から大学院まで無料で、就労を希望する者には、特別の技能研修が政府の予算によって認められていること。このため義務教育の制度はなく、本人の意思さえあれば12才から就労が可能だという。
 さらにトカラモネスには刑務所が一つもなく、法の自治は国民の一人一人に委ねられているとある。犯罪者は隔離されることなく、社会の中で一般市民と生活を共にしながら、公正への道を歩むシステムになっている。
 トカラモネスに関する情報を拾いあげながら、和田はその斬新さに改めて『最後の楽園』と呼ばれる国家の骨組みに触れたような気がした。年間を通じて温暖な気候は農業や漁業といった、自然環境と共存が可能な経済システムを発展させ、やがてこれに観光が加わったのだという。
 
 会社を辞めてから1ヵ月がたとうとしていた。日々の生活の足がかりを失い、暗闇を漂うような気分になっていた和田だったが、トカラモネスという国の若さに生きる希望を得たような気がした。
 自分にも何かが出来るのではないか?スーツケースに荷物を詰めながら、和田はここ数年感じたことのない力が、体のどこからか湧き上がってくるのを感じた。
 トカラモネスに行こう。そしてその若さと情熱に、何かを学んでこようではないか。

 和田の希望の旅は、今まさに始まろうとしている。