ぼくの初体験 (バンコク)
バンコク一の繁華街、パッポン。その日は午後昼寝をして、出かける前に念入りに体を洗い準備を整えた。洋服もちょっとだけグレードアップさせ、旅に出て以来初めて、LLBeanの襟つきシャツを着た。そうして鏡の前で右を向いたり左を向いたり。そのうち自分でも可笑しくなって、ベッドに寝転んで一人声を出して笑った。 今さらカッコつけてもしょうがない。はっきり言えば、ぼくは今夜生まれて初めてのセックスを決行するつもりだった。
行く店は決まっていた。この2週間その店の前を20回近くも通り過ぎたからだった。ドアが開いたその一瞬見えた店内では、白いブリーフ一枚の男たちが暗い店内の奥に据えられたステージで踊っていた。その時ほんの少し勇気を出してドアを開けていれば、ぼくは常連となって今夜も店に入った瞬間、「〇〇さん、いらっしゃ〜い」と名前で呼ばれていたかもしれない。
そう思ってもその店の近くに来ると急に心臓がドキドキ鳴り始め、緊張で歩くステップがおかしくなった。バカみたいだ。誰に見られているわけでもないのに、素人の泥棒のようにキョロキョロあたりを見まわしていた自分。そんな自分と別れを告げるときが来たのだ。
午後10時、出撃開始。気のせいか、店のドアが鉛のように重く感じられた。ドアを開けた瞬間、大音量のBGMに圧倒される。ぼくは内心の動揺を隠しつつ、余裕のあるフリをして襟を直した。
(こんなことで動揺するな、今日はセックスするんだからな)
自分を励ましながら椅子に座った。気持ちを立て直しているところに、ウエイターが笑顔でやって来た。
「コ・・・コーラを」声が一瞬カン高くなった。
ウエイターはにっこりと微笑みながら言った。
「気に入ったボーイがいたら教えてね」
「はい。あの・・・いくらなんですか?」
(バカ、何をいきなり聞いてるんだ。もう少ししてから聞けばいいじゃないか!)
ぼくは恥ずかしさと自己嫌悪でウエイターの顔をまともに見ることができなかった。
「えっ?ああ、指名料ね。店には200バーツ(600円ぐらい)、ボーイにいくら渡すかはあなた次第よ、フフフ」
「分かりました。あ・・・ありがとう」
それから1時間ぐらいしてショーが始まった。つい前日まで旅の哲学者ぶっていたぼくはどこへやら、その頃には完全にただの男になっていた。
(14番がいいかな・・・待てよ、25番もカッコイイな・・・)
さっきのウエイターが再びぼくの所へやって来て、また同じことを聞く。
「どう、決まった?」
「はい、39番の人をお願いします」
ウエイターは途端に笑顔になって、「オーケー、ちょっと待ってて」と言って、舞台の袖に待機している39番を呼びに行った。
「ハーイ」39番がぼくの所へやって来た。
「ハイ」ぼくは目を輝かせながら右手を差し出す。
(カッコいい…)
それからしばらく二人でショーを眺めながら、お互いの股間を刺激し合った。もう緊張もなく、周囲の人の目も気にならなくなっていた。
(オレだって人間だ。たまにはセックスもするさ)
初めてのくせに、ぼくは威張って考えた。
その夜バンコクで、ぼくは女(?)になった。翌日それを記念して安物の指輪を買い、右手の薬指にはめてみた。右手をバンコクの太陽にかざし指輪の反射を楽しむ。それは誰も知らないぼくだけの勲章だった。