青に出会う (インドネシア・シベルート島)



 後ろを振り向くと、さっきまでぼくのすぐ後ろを歩いていたはずのジェームズの姿が見えない。ジェームスだけではない、前方を歩くピーターの姿ももう見えなくなっていた。
 滝のように叩きつける雨の中、ぼくは道なき道を半ば勘を頼りに前へと進んだ。4人を先導するガイドの姿はもう長いこと見ていなかった。
 ぼくは雨に打たれながら思った。
「いったい何なのだ、この"ツアー"は」

 『ジャングルを探検してみませんか?』
 そんな広告文句につられ、ジャングルツアーに参加したのは2日前のことだった。7泊8日の行程で100ドルという参加費は痛い出費だったが、何もすることなく足早に移動する流れをここで変えなければいけないと思った。それはバンコクで会った男の言う「移動」に違いなかった。頭の中はこれから行く国のビザのことや列車やバスの時刻表に支配され、今この場所で何をしようという視点が抜け落ちてていた。
 "JUNGLE"という文字を見てまずぼくの頭に浮かんだのが、背の高い木々に頭上を閉ざされ、光の射さない森の姿だった。映像では何度となく見たことがあるものの、その中を自分の足で歩くことは、想像するだけで胸が踊るような気持ちだった。

 参加メンバーはぼくの他に4人。イギリス人のジェームズ、オーストラリア人のピーター、デンマーク人のシンシア、そしてその4人を率いるインドネシア人のガイド。国籍もさることながら年齢層も幅広く、最年少のぼくとピーターの間には30才以上もの年の開きがある。
 東京の街を行き交う50代のサラリーマンと、目の前で探検隊まがいの服装をし、少年のように目を輝かせているピーターは頭の中で結びつかなかった。出発前日のミーティングでピーターは、250ccのバイクに乗って世界を一周している途中だと自己紹介した。その話し方に気負いはなく、長期旅行者にありがちな説教じみたところも感じられなかった。
 ツアーがスタートしてから、一度だけピーターに旅の目的を聞いたことがある。
「なぜ旅をしてるのかって?それがわかってたら旅なんてしてないよ」
 そう言ってピーターは大きな声で笑った。

 初日に港でぼくたちを待ち受けていたのはオンボロの木造船だった。一体いつ頃作られたものなのか、側面には無数の貝がこびりつき、甲板に出ると床板の一部が抜け落ちていた。この船に乗って沖合い50キロの所にあるシベルート島まで行くのだが、その日は生憎の荒天。港に打ち寄せる波は白く、停泊している船は今にも転覆しそうだった。
「これじゃ出航するのは無理だな」
 口数の少ないジェームズがぼくの横で呟くように言った。
「そうだね、楽しみにしてたのに
 ところが船はぼくらの予想を裏切り、荒れ狂う海へ出航することになった。「ボーッ」という頼りない霧笛を合図に、徐々に岸壁から遠ざかって行く。つい数時間前まで落胆していたぼくたちも、この結果を喜んでいいのか悪いのか戸惑っていた。
 激流に笹舟を浮かべるかのような航海は想像を絶するものだった。船内では立つこともままならず、二階の寝台で横になるぼくの頭上からは、雨水が滝のように流れ込む。体だけでなく、布団も毛布もぐしょ濡れだ。トイレに行こうとして立つと、まるで宙を浮いているような錯覚に陥る。船の揺れに体を左右され重心を保つことができず、廊下の壁に思いきり頭をぶつけたのは、後から聞くとぼくだけではなかったらしい。頭を押さえながらぼくは思った。
「いったい何なのだ、この"ツアー"は」

 それでも疲れていたぼくは、水溜りの中で眠りに落ちたらしい。次に目を覚ましたとき船は、朝もやの中を静かに航行していた。寝ぼけたまま甲板に出る。足を動かすたびにキュッキュッと音のする靴は、昨夜の雨が決して夢ではなかったことを物語っていた。
 もやの向こうに何かが見えた。ぼくはすぐ側にいたおばあさんに、指を差しながら「シベルート?シベルート?」と聞く。おばあさんは怪訝そうにぼくの顔を見ながら頷いた。

"Welcome to Siberut Island"
 港にはそんな看板一つ見当たらない。ぼくたちはガイドに促されるまま船を降り、一様に青白い顔で浜辺にある一軒のレストランに入った。ぐったりしているぼくたちは、スープを飲むように薄いコーヒーを啜っただけだったが、ガイドだけが朝から山盛りのチャーハンを食べていた。
「よく朝からそんなに食べれるね」ぼくが皮肉を込めて言うと、
「先が長いからね。この先こんなにおいしいものも食べられなくなるし」と彼は事もなげに答えた。

 歩き出してしばらくして、ぼくたちはジャングルの厳しさ、そして自分たちの考えの甘さを思い知らされることとなった。急流を丸太にしがみつきながら渡り、時には腰の深さの沼をずぶずぶと進んだ。陸に上がると決まって体にヒルが貼りついている。普段はカエルさえ触れないぼくも、構わず素手でヒルをむしり取った。掌に残るヒルの感触と吸い取られた血。その数十分後、全長10mほどもある大蛇に出会うまでは、その映像が頭から離れることはなかった。
 夕方になると、突如として激しいスコールに見舞われた。「バケツをひっくり返したような」とは、このような雨を指して言う言葉なのだろう。目を開けることさえままならず、ぼくたちはただひたすら下を向いて歩き続けた。5人の隊列は次第に長くなり、気がつくと前後に人の姿が見えなくなっていた。

 その日宿泊用の民家にたどり着いたのは、歩き始めておよそ6時間後のことだった。立て床式の家でぼくたちを出迎える老人は腰巻き一つで、しおれた胸を象の鼻のように揺らして歩いていた。
 ぼくたちは女性のシンシアがいるのも構わず、パンツ1丁になって雨上がりの空を見上げた。その空はとても青く、ぼくは高村光太郎の『智恵子抄』で、智恵子が言った「東京には空がない」という言葉は、本当だったのだと思った。

 ぼくたちのジャングル彷徨はそれから5日間続いた。
 一日にやることは極めてシンプルだ。メシを食い、歩き、そして寝る。特別な事件が起こるわけでもない。途中でエドワードが体調を崩し、みんなで彼の荷物を分担して持つ。文化人類学者だったピーターが、星空のもとアジアや地球の人々のことを語る。ジャングルで21歳の誕生日を迎えたシンシアのお祝いに、みんなが自分の国の歌をプレゼントする。
 それはメシを食い、歩き、そして寝ることと同じぐらい、シンプルなことだった。

 最後の日、それまで頭上を覆っていた木々がまばらになり、ぼくたちはゴールの海が近いことを知った。皆、疲れ果てていた。それでも自分たちを励まそうと、町に戻ったら何を一番最初にしたいか、歩きながらずっと話をした。
 ぼくは「冷たいコークを飲みたい」と言った。シンシアは女性らしく、「暖かいベッドの上で寝たい」と言った。
 それは普段の生活から考えれば何でもない、当たり前のことばかりだった。ところがぼくたちはこの1週間雨水を飲み、一度も洋服を着替えず、ヒルに刺され、巨大な蛇に命が縮まる思いをしてきた。冷たいコークや暖かいベッドはそんなぼくたちにとって、何よりの贅沢品に思われた。

「あと少しで海だよ」
 ガイドの声にぼくたちの歩みは自然と早くなった。元気を取り戻したエドワードが今日は先頭を歩いている。
 最初に口笛を吹き始めたのはぼくだった。それは「戦場にかける橋」というアメリカ映画で、捕虜となった兵士たちが釈放されたとき、ラストシーンで行進しながら吹く歌だった。口笛の輪は広がり、ぼくたちは皆でその歌を吹きながら海を目指した。

 いろんなことが頭に浮かんでは消えていった。この1週間のジャングル生活、ここまでの旅のこと、そして日本でのこと。この瞬間、すべては「たいしたことじゃないな」と思えた。もしかしたらこの1週間ジャングルを歩きながら、ぼくは自分の心の中にあるジャングルを旅していたのかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、やがてぼくたちは海にたどり着いた。それは記憶のなかのどんな海よりも青く、輝いて見えた。少しぼやけて見えたのは、ぼくの目にあふれる涙のせいだ。
 ぼくは一言、「青いね」と言った。それに答えてシンシアが「うん」と言った。

まーちゃんのイルカ(インドネシア)