まーちゃんのイルカ (ジャカルタ)




 その人は横に座り、いかに日本がひどい国であるか、自分がその国を出てどれだけ満足しているかをしゃべり続けていた。ぼくはほとんどその人の話を聞いていなかった。
 ジャカルタの国際空港。ぼくはインドへ、その人はシンガポールへ向かう飛行機の搭乗を待っていた。目の前に見たこともない航空会社のボーイング機が誘導されて入ってくる。いったいこの巨大な鉄の塊はこれからどんな人々を乗せ、どんな土地へ向かうのだろうか。その人の声をBGMに、ぼくは初めて見る飛行機の行き先を想像していた。
「ホント、今の中学生なんて何考えてるんだか分からなねえよな。ほら、あっただろう?神戸の小学生殺人事件。あんなこと、俺が中学生の頃には考えられもしなかったからなあ。まったく、日本はどうなっちまったんだか・・・」
 その人は溜息をつきながら、大げさに首を振ってみせた。
「本当にそうですね。中学生の考えていることなんて分からないですよ」
 ぼくは聞いてもいないのに、適当に相槌を打った。わずか5年前まで中学生だったはずなのに、振り返るとそれはとても遠い記憶であるような気がした。
 自分で言いながらふと、今の自分と同じことを言った人がいたことを思い出した。それはぼくが大学に入学した年の夏休み、アルバイトとして働いていた福祉施設の職員の言葉だった。
「今の中学生なんて何考えているのかさっぱり分からないよ。やけに大人びたことを言ったかと思えば、幼稚園児みたいなところもあるしさ」
 それが中学生というものなのではないでしょうか、ぼくは言いかけて口をつぐんだ。この人に言ってみたところで、分かってもらえないだろうと思ったからだ。
 様々な事情で親元を離れて暮らす子供たちを収容するその施設は、『光の園』という名前とは対照的に、出口の見えない闇の空間を作り出していた。職員間の対立が時とともにお互いの溝を深め、それが諦めとなって施設全体の運営に影響していた。
 ぼくの仕事は夕方から夜にかけて当直の職員が来るまでの間、子供たちの話し相手になったり、勉強を見てあげることだった。
 施設で暮らす子供たちには大きく分けて二つのタイプがあった。周囲に全く関心を示さず、静かにテレビや漫画を見ながら過ごすタイプ。問題を起こす子供たちではなかったが、人間としての根本的な感情が欠落しているように思えることがあった。
 一方で人の傍から離れようとせず、常に自分に注意を向けようとする子供たち。何かと騒動を引き起こすのはこのタイプの子供たちだった。深夜の無断外出、喫煙、万引それらの多くは、周囲の注意を惹こうとする、彼らなりの拙い表現方法だったかもしれない。
 子供たちに共通していたのは、埋めようのない孤独を内に秘め、人と人の距離感がつかめないまま成長していく脆さだった。ある子供は外界をシャットアウトし自己の世界を守ることに努め、別の子供は他者に自らを委ねるなかで、自分の意思の存在に目を覆おうとしていた。
 本来手本となるべき職員はそんな子供たちに対して無力に等しく、そのことに疑問すら感じていないように見える彼らを、ぼくは不思議な気持ちで眺めていた。

「イルカになりたい」と"まーちゃん"は言った。まーちゃんとは、真由美という名前から付けられた彼女の呼び名だった。それから2年たった今でも、ぼくは時々その言葉を思い出してみることがある。
「何でイルカになりたいの?」
「だってイルカになったら好きなところに行けるじゃん。学校に行かなくてもいいし、勉強だってする必要ないしさ。もうこんなところにいるのやだよ!」そう言ってまーちゃんは急に泣き出した。
 まーちゃんは当時中学2年生。精神分裂病の母を持ち、父親から虐待された経験を持つ子供だった。その福祉施設に収容されたのは、まーちゃんがまだ7才のときのことだった。
 いつも笑顔を絶やさない、明るい女の子だった。ところがまーちゃんの話を聞いてみると、子供時代の思い出としてはあまりに暗く、苦痛に満ちたものばかりが飛び出してくる。
 まーちゃんは新聞配達が怖いと言う。なぜ?とぼくが聞くと、新聞配達の人が早朝まーちゃんの住んでいたアパートにやって来て、「金を払え!」と怒鳴りながらドアを叩いたことがあるからだと答えた。それはきっと新聞の集金ではなかっただろう。まーちゃんはそんなとき、2才年下の弟と息を殺し布団にもぐりながら、声がやむのを震えながら待ったという。
 まーちゃんの話を聞きながら、ぼくは必死にこらえていた。拳をぐっと握りしめていないと、叫び出してしまいそうだった。
「ねえ、先生もイルカになりたくない?」
 まーちゃんは泣き顔でぼくに聞いた。まーちゃんと一緒に泣いたり、怒ったり、叫んだりするのは簡単だった。でもぼくには出来なかった。
「イルカかでも俺、3日前までイルカだったから。イルカはもう飽きたよ」
 ぼくは笑顔でまーちゃんに言い、子供の頃聞いた、博士とイルカの物語を話して聞かせた。
 イルカを研究する博士とイルカの間に生まれた友情。ところがイルカたちの優秀な能力を戦争のために利用しようとする国家が現れた。軍によって次々と捕獲されたイルカを逃そうと、博士は自らの命と引き換えに軍の研究所に忍び込み、水門を開けることに成功した。物語の最後に博士は、イルカたちにこう言う。
「人間はうそつきだ、人間の言うことを決して信用するな、人間に近づいてはいけない、さあ行きなさい!」
 ぼくはイルカの話をしながら、他の職員が無力だったのではなく、そうする以外に方法がなかったのだろうと思った。

 その人は搭乗時間が近づくと、「今度日本で飲もうな」と言って、日本の連絡先を残し去って行った。ぼくはそのメモを見つめながら、きっとこの人とは二度と会うことがないだろうと思った。
 旅先での人との出会いは、頬をなでる風のようだ。暖かい風、冷たい風。ジャカルタの国際空港は、そんな旅人たちが織りなす風によって、未知への上昇気流を巻き起こしていた。

 さよなら、インドネシア。

ユミの卒業式(インド)