アフガンの大地を越えて (アフガニスタン)



 ぼくはアフガニスタンという国をよく知らなかった。その名を聞いて連想するのは内戦やイスラム原理主義といったおどろおどろしいものばかり。そこで暮らす人々の顔が見えてこない。
 ガイドブックを開くと、現在国土の9割を支配するイスラム原理主義グループ、タリバーンと反対戦力の内戦は20年以上もの間続き、中部から北部にかけてはいまだに戦闘が継続しているとある。
 イスラマバードに戻ったぼくは、早速アフガニスタン大使館でビザの申請を行った。入国目的の欄には「イスラム教の勉強のため」と記入した。これは以前同じ方法で入国したことがあるという旅行者からのアドバイスがあったからだ。
 「確率は20%ぐらい。ま、宝くじでも買うつもりで申請してみたら」と彼は言った。
 1週間後再びアフガニスタン大使館へ出向いた。待合室で1時間近く待たされた後、ぼくのパスポートを持った係官が現れて、入国の目的から家族構成、大学での専攻やこれまでの渡航国など、細部にわたる質問を浴びせた。およそ30分ほど続いただろうか。それまでずっと厳しい表情だった係官の口からジョークも飛び出すようになってきた。それがよい兆候であるとは知りつつも、ぼくの緊張は解けることがなかった。
 「ちょっと待ってろ」
 係官がそう言って席を立つと、ぼくは全身で大きな溜息を一つついた。待つこと5分、係官は 「はい」と言ってパスポートをぼくに渡し、アフガニスタンのビザスタンプが押されているページを開いて見せた。
 "Welcome to Afghanistan."
 係官がぼくの肩をポンと叩きながら微笑んだ。

 アフガニスタン入国へはいくつかルートがあったが、ぼくは中でも最も安く、時間のかかる陸路を選択した。途中何度かバスを乗り継ぎ、パキスタンとアフガニスタンの国境を越え、カイバーの町にたどり着いたのは太陽が西に傾きかける夕刻のことだった。
 バスを降りてまず目についたのが、廃墟となったビルと、その壁に残る無数の銃弾の痕だった。戦争という言葉に現実感の伴わないぼくには、その残滓を目の前にしても、この通りに銃弾が飛び交い、人々が逃げ惑う姿を想像するのは難しかった。
 一軒の屋台で足を止め、チャイ(紅茶)を注文した。頬の赤いその少年は慣れた手つきでカップに茶色い液体を注ぐと、照れたような笑みを浮かべてそれをぼくに手渡した。
 チャイを飲みながら周囲の風景に目をやると、道行く人の中に女性が少ないことに気がついた。男性中心の社会であるイスラム教国ではあっても、この男女比の格差は異様に映った。
 これまでの国なら必ずどこからか流れていた音楽もここにはなく、まるで国全体が喪に服しているかのようにひっそりとしていた。イスラマバードの大使館でもらったパンフレットを広げると、ここでは音楽だけでなく、写真も、男性は髭を剃ることも禁じられていることを知った。日常生活の奥深くまでイスラムの戒律が徹底されていて、それに反すると厳しい罰が待っているのだという。
 「何てひどい国なんだ」
 ぼくはパンフレットを読みながら、思わず口に出してそう言った。

 翌朝早く、ぼくは息詰まるような空気から逃れたい一心で、首都カブールへ向かうバスに飛び乗った。
 アフガニスタン人ばかりの乗客のなかでぼくは確実に目立っていたはずだが、彼らは声をかけてくるどころか、目が合うとさっとそらしてしまう。ぼくは行き場を失った作り笑いの顔を窓に向け、バスがカブールに着くまでの6時間余り、ついに一度も彼らの方を振り向くことはなかった。
 カブールに西洋的な明るさや開放感を期待していたぼくの幻想は、そこに着いた途端あっさりと断ち切られた。首都と呼ぶにはあまに規模が小さく、一方で貧しさばかりが目についた。
 小さな赤ん坊を抱え、道行く人に右手を差し出す女性。これまでの旅でそんな光景にもすっかり慣れていたはずだったが、目以外の部分をすっぽり黒い布で覆い、射るような視線でぼくを見つめる彼女からは、背筋の寒くなるような緊張感を覚えた。
 いつも誰かがぼくを見ている。それが好奇心によるものなのか、敵意によるものなのか、その真意を探ることさえなく、わずか1日カブールに滞在しただけでぼくはイランとの国境に向かった。東から西へ、4日でアフガニスタンを横断したことになる。国境でアフガニスタン出国のスタンプが押されると、全身の力が抜けていくような気がした。
 カブールで再び大規模な戦闘が勃発したと聞かされたのは、それから数日後のことだった。

郭選手からの手紙(イラン)