郭選手からの手紙 (テヘラン)

 

 イランに入ってからずっと体調がすぐれなかった。頭はヘルメットをかぶったように重く、ちょっとの移動で息切れがした。アフガニスタンを駆け足で通り抜けてきた後だっただけに、疲労のせいだろうと考えた。風邪の可能性も考えて体温計を口に入れてみるが、平熱より若干高い程度。何よりもこれまでの経験から、これは風邪ではないだろうとぼくは思った。

 きしむベッドの上で何度も体の向きを変えながら、ぼくは父が死んだ日のことを考えていた。
 それは父が死ぬ前日のことだった。ぼくは友人とカラオケに行き、帰宅したのは午前0時を過ぎていた。いつもなら早く就寝するはずの父の書斎の電気が、その日に限ってはまだついていた。足音を忍ばせて自分の部屋へ向かうとき、ドアの隙間からチラと見えた父の後姿。それがぼくが見た、生きている父の最後の姿となった。
 その翌日は日曜日だった。ぼくは昼過ぎに起きて、ぼんやりとデーゲームの野球中継を見ていた。後に様々な記憶が曖昧になる中で、その試合がヤクルト―広島戦であり、ヤクルトの先発ピッチャーがやけに調子がよかったことだけは、なぜかはっきり記憶している。
 悲報がもたらされたのは、ゲームが中盤にさしかかった時のことだった。その時姉は外出中で、家にいたのはぼくと母だけ。電話に出たのは母だった。「えーっ!」と母の叫び声が聞こえる。どうしたの、とぼくが母のもとへ行くと、母は受話器を膝において床に座り込んでいた。ぼくはもう一度、どうしたのと母に聞いてみる。お父さんが事故にあって重体なんだって、と母は目に涙をためて言った。嘘でしょお母さん、とぼくは聞く。母はそれには答えず、早く病院に行かなくちゃと独り言のように言って、父の下着や洋服を紙袋に詰めはじめた。
 母はこの時ひどく動転していたのだろう。警察から電話があった時点で父はすでに脳死状態にあり、助かる見込みはほとんどないと言われていたと、ずいぶん後になって母から聞いた。下着や洋服を持っていったところで、それを着るだけの力も意思も、もう父には残されていなかったのだ。
 あまり仲のいい父子ではなかった。世間であるような父と子の会話をしたことは一度としてなかったし、中学に入る頃には顔を合わせば喧嘩になり、やがて二人は自然と距離を置くようになっていた。
 父の臨終が宣告される前の数分間、医師が額に汗を浮かべながら、懸命に父の心臓マッサージをしていた。医師が手を止めると、心電図はもう波を描かなかった。その医師はたまたま父の昔からの友人であり、ぼくたちの方を向き直ると、残念ですがと言って壁にかけた時計の時間を読み上げ、涙を流した。母と姉は号泣して父の遺体にすがりつく。ぼくは一歩離れたところからその様子を眺めながら、すべてはドラマのようだと思った。事故の一報から納骨に至るまで、ついにぼくは一度も涙を流すことがなかった。

 ぼくは窓の外を見つめながら、友人たちは今頃何をしているのだろうと考えた。駅前のカラオケボックスや様々な店の建ち並ぶ通りの映像が、次々とぼくの頭に浮かんでは消えた。今の自分はどこよりも遠い場所にいるような気がする。ぼくはこれ以上どこに行こうとしているのだろうか?

 父と初めてプロ野球を見に行った日のことを思い出した。
 巨人ファンだった父に対する反抗心だったのか、記憶のある限りぼくはいつも中日ファンだった。
 横浜スタジアムで行われた大洋対中日の一戦。中日リードのまま迎えた最終回裏、マウンドに立ったのは背番号33をつけた抑えのエース郭源治。当時小学生だったぼくにとって、郭源治は憧れの選手だった。汚い字で何度もファンレターを書いたが、一度も返事は来なかった。学校から帰ってくるとまず最初に郵便ポストを確認していたあの頃。そこに何も入っていないと母を探して、「お母さん、郭選手から手紙来てなかった?」とぼくは聞いた。
 ある日のことだった。父が帰るなり大声で、「郭選手から手紙が来てるぞー!」とぼくを呼んだ。よく階段を転げ落ちなかったものだと思う。ぼくは興奮して、見せて見せてと父にせがんだ。そこには大人の字で、「いつも応援してくれてありがとう。これからもがんばるからね」というようなことが書いてあった。憧れの郭選手からの手紙。ぼくはそのとき、大きくなったら必ずプロ野球選手になって、郭選手と一緒にプレーすることを誓った。
 時は流れ、プロ野球選手への夢とともに、その手紙もどこかへ行ってしまった。成長するとともに父とは疎遠になり、同じ家に住みながら他人のような関係が築かれた。そして突然訪れた父の死。ぼくはまるで他人の死をみるように、父の死を見ていた。

 窓の外を、バイクがけたたましい音を残して走り去った。 もしかしたら・・・もしかしたら、あの手紙は父が書いたものではなかっただろうか?そう思ったのは、ぼくが最後に見た父の後姿と、郭選手からの手紙が頭の中で一瞬重なって見えたからだった。10年以上も時を遡って真実を探ることは出来ないが、そのときぼくは確信に近い形で、あれは父が書いたものだと思った。
 何で今までこんな簡単なことに気がつかなかったのだろう?まるでぼくの気持ちを知っていたかのようなタイミングの返信。あれは父だからこそ出来たことだったのだ。
 急に涙があふれ、止まらなくなった。ぼくは父のことを何も知らなかったのかもしれない。頼りない先発ピッチャーの後ろで、いつも見守っていてくれた守護神がいたことを。

 ぼくの回想は、そこで途切れた。

千年王国(イラン)