二十一世紀旗手 (テヘラン)



「君は運がいいんだか悪いんだか分からない奴だなあ」
「ええ」
「君が泊まっていたゲストハウスのオーナー、極悪人みたいな顔したオーリーっているだろ?オーリーは俺の昔からの知り合いなんだ」
 そこは病室ではなかった。ぼくは荷物をまとめ診療所を出る前、前田さんのオフィスに立ち寄った。
「初めてイランにやって来て右も左も分からず、何となく足を踏み入れたのがあのゲストハウスだったんだ。もっとも昔はもうちょっとましな、ホテルと名のつく建物だったがな」
「それ以来ずっとイランに住んでいらっしゃるんですか?」
「いや、そのときイランには1週間ぐらいしかいなかった。テヘランからカブールに飛んで、そこの中華料理屋でしばらく働いていたんだ。あの頃はアフガニスタンもまだ平和な国だった。人なんかも今と違ってのんびりしてたな」
 前田さんは懐かしそうに言う。
「前田さんも昔バックパッカーだったんですか?」
「うーん、当時はそういう言葉がなかったからね。"ヒッピー"って知ってるかな?」
「はい、聞いたことはあります」
「俺はヒッピーだったんだ。学生運動にのめりこみ、気がつくと周りの仲間はみんな就職してて・・・俺だけだったな、最後まで無邪気に自由だ平和だって言ってた奴は」
「それで旅に?」
「いや、大学を中退して最初の数年は信州の農村で働いていた。組織を捨てて行った奴らに対する意地みたいなものがあってさ、資本主義に呑みこまれてたまるかみたいに思ってたんだよ。若かったねえ。早朝から日暮れまで働いて、夜になると資本論を広げてさ。といっても、たいていは枕でしかなかったがな」
 そう言って前田さんは、マグカップの底に残っていたコーヒーを飲み干した。

「そのうち全てがバカらしくなったんだ。気が付いた、と言ってもいいかな。本当は誰も革命なんて起こす気はなかったんだよ。体制に反発している自分に酔っていただけさ。そのことに気づいて俺は信州を後にした。東京に出てきたものの、学生運動あがりを雇おうなんて会社はなかったよ。代々木公園の芝生の上で寝転んでいたら、そんな自分に急に嫌気が差してきたんだ。ありもしない理想を追いかけて、気が付いたらたった一人。それである日旅に出たんだ。初めは南米に渡り、そこから船でアフリカへ。新鮮だったな。理想や革命から遠いところで、静かに漂っている気分だったよ。
「中東の国々をしばらく歩くうちに、急にまた医学の勉強をしたくなった。オーリーに出会ったのはそんな時さ。あいつに言われたよ。"ケイゾー、自分を責めるのはもうやめにしないか。誰だって理想の自分にはなれないんだよ。お前はお前らしく生きればいいじゃないか。いったい・・・お前はアラーにでもなろうってつもりか?"ガーンときたな。理想を捨てたつもりだったけど、心のどこかではまだその呪縛が解けていなかったと、あのとき初めて気が付いたよ。それから俺はイランに戻り、テヘラン大学でペルシャ語を学びながら、再び医学の道を志したってわけさ」

 イランで医師の免許を取得した前田さんは、それから20年テヘランの国立病院に勤めた後、3年前に"国境なき医師団"のボランティアとなり、今はイラン・トルコ国境に住むクルド人の医療活動に従事しているという。ぼくが収容されたのも、本来はクルド難民のために設立された国境なき医師団の診療所だった。
「過去の自分を後悔していますか?」
 最後にぼくが聞いた。
「もちろん。出来るなら学生時代に戻って、当時の自分にこう言ってやりたいよ。"バカなことはやめろ、現実に目を開くんだ!"ってね。でもそれが出来ないから、今の俺はまるで過去の自分に手本を見せるように生きているんだ。そう、俺は過去の自分に対して革命を起こしているのかもしれないな」

 素敵な人だと思った。過去の自分と対峙しながら、未来へのヒントを探し続けた前田さん。それはきっと苦しく、孤独な闘いだっただろう。
 本人は頑なに否定するが、前田さんは一度として理想を捨てたことはないとぼくは断言できる。歩くたびに目的地が遠のいていくかに見える自分探しの旅の中で、葛藤を繰り返し、情熱の灯をともし続けた人。

 別れ際に診療所の前に立つ前田さんの後ろには、テヘランの青空に国境なき医師団の旗が、堂々とはためいていた。 

自分を映す鏡(イラン―トルコ)