自分を映す鏡 (イラン〜トルコ)


 旅に出てしばらくたつと、ほとんど日本のニュースが気にならなくなってくる。低迷を続ける株価、中学生による殺人、そして皇太子妃の懐妊報道に一喜一憂する世間やマスコミ。遠く離れた場所から日本を眺めていると、まるで自分の国の出来事とは思えない。それは一種の疎外感であり、ぼく自身が群れから離れつつある証拠なのかもしれない。

 体調もすっかりよくなったぼくはテヘラン駅から列車に乗り、一路アジアの終点、そしてヨーロッパの起点であるトルコ・イスタンブールを目指した。
 これまでほとんどバスで移動してきたぼくにとって、鉄道の旅は新鮮だった。最後尾のデッキで風に吹かれ、果てしなく続く線路を眺めていると、ここまでの旅の間に出会った色々な人々の顔が浮かんだ。もしかすると、ぼくはアジアやユーラシア大陸といった土地ではなく、人を旅しているのかもしれないと思った。

 食堂車へ行きコークを注文する。蝶ネクタイをしめたウエイターは、「イエス、サー」とおどけたように言って微笑んだ。ふと隣りのテーブルを見ると、一人の老人がビールを前に、地平線に沈む太陽を見つめていた。ビールの気泡は消え、老人はまるで金縛りにあったかのように動かない。頬から顎にかけて生える白い髭は、夕陽に照らされピンク色に染まっていた。
「キレイですね、夕陽」
ぼくは老人に話しかけた。老人はふと我に返ったようにぼくの方を向いて、
「ああ」と答えた。
「どこまで行くんですか?」
「イスタンブール。でも途中でカッパドキアを見て行こうと思ってる」
老人のアクセントからアメリカ人だろうとぼくは想像した。
「君はどこへ行くんだ?」
「イスタンブールです。バンコクから旅を始めて、もう6ヶ月になります」
「そうか・・・」
老人はそう言って、再び窓の外に視線を戻した。

 老人とはその後何度か食堂車で顔を合わせた。いつも隅のテーブルに一人で座り、外界のすべてを拒否するかのように窓の外を眺めている老人は、遠い国の仙人を思わせた。
「ここに座っていいですか?」
ぼくが老人の前の席を指して聞くと、彼は無言のまま頷いた。
ぼくはいつものようにコークを注文する。その間も老人はずっと外を見つめたままだ。
「それにしてもイスタンブールは遠いですね」
「ああ、そうだな」
「どのくらい旅をしているんですか?」
「5年・・・になるかな。ずっと移動していたわけではないが、国を出てからもうそれぐらいになる」
「途中で働いていたんですか?」
「ドイツのNATO基地で1年半ぐらい働いていた。それからイスラエルに渡り、キブツ(集団農場)に2年」
 老人の名はジム。イリノイ州出身のユダヤ系アメリカ人だった。30代の頃空挺部隊の一員としてベトナムで戦い、帰国してから様々な職を転々としたという。
「あまりいい時代ではなかったな」と、その当時のことを聞かれるとジムはまるで他人事のように言う。
 アメリカに生まれ育ちながら、ユダヤ系であったジムは様々な差別の壁にぶつかってきた。
「自分のラストネームを言っただけで、次の日から話しかけてこなくなった連中もいたよ」
ゴールドバーグというジムのラストネームは、ユダヤ系に多い名前だ。
「国のために命を賭けて戦ったというのに、最後まで俺はアメリカ人として認められなかった。そんなアメリカにうんざりしたってわけだよ。もう戻る気はないね」ジムはそう吐き捨てるように言った。

 ジムの話を聞きながら、ぼくはある韓国系の友人のことを思い出していた。彼は横浜で代々焼き肉屋を営む家庭に生まれ、ぼくと同じ高校に通っていた。勉強がよくでき、人にも優しかった彼だったが、陰で彼のことを「チョン」と呼び、悪口を言っている友人も何人かいた。
 ある日彼の家に遊びに行ったときのことだ。部屋でゲームをしているとき、ふと本棚を見ると「韓国の大学留学」「韓国語の初歩」という本が目にとまった。「韓国に留学するつもりなの?」とでも聞けば、それは何でもないことだったかもしれない。ところがぼくはまるで見てはいけないものを見てしまったかのように、さっと視線をTVの画面に戻した。
 彼の口から自分のルーツについて告白されれば、「ふーん、そうなんだ」とぼくはあっさり言ったと思う。彼が韓国人であろうと日本人であろうと、友達であるという事実に変わりはないからだ。

「人間はバカだよね」ぼくはジムに言った。
「えっ?」ジムは意外そうな顔をしてぼくを見る。
「似たような所はたくさんあるのに、ほんの少しの違いを大袈裟に指摘し合ってさ」
「そうかもしれないな」
「バカだよ、人間は。どうしようもないバカだ」
 ぼくがそう言ったのは、ふとあのときの彼のことを考えてみたからだ。もしかしたら彼は自分のルーツに微塵もこだわりがなく、正面からその事実を受け止めていたのではないだろうか?だからこそ本棚にさりげなく韓国語の本が置かれ、それについて触れる必要も感じなかったのかもしれない。
 一方のぼくはといえば人種偏見などないと言いながら、彼に対して気を遣い、無意識のうちに壁を築いていた。それは彼を傷つけるのが怖かったのもあるが、本当のことを言えば、怖かったのは自分が傷つくことだったのだろう。
 高校の3年間、ついに彼とは一度もその話をすることがなかった。卒業して2年後、風の便りに彼がソウル大学に留学したと聞いた。

 車内のアナウンスがトルコとの国境に近づいたことを告げる。窓に映るぼくの顔は頬がこけ、旅に出る前とは別人のようだった。
 自分に何が出来るのか。列車が明るいホームに滑り込む直前、ぼくは窓に映る自分に向かって、そう問いかけた。

ぼくたちが生きた証に(トルコ)