イスタンブールの風になる (イスタンブール、そして日本)

『ピエロ』

喜びを一つ与え 悲しみを一つ負う
ピエロはにこやかに

喜びを二つ与え 悲しみを二つ負う
ピエロは微笑んで

喜びをすべて与え 悲しみがすべてになる
ピエロはボロボロ もう笑わない

― 17才のぼくが書いた詩(本物)。それは誰かへのSOS信号だった。―


 

 長いこと眠っていたようだ。目を開けると車窓には先ほどまでの田園風景とはうってかわり、屋根の低い民家が続いていた。時間は午後8時すぎ。テヘランを出て以来時計を合わせていなかったので、イスタンブールだと6時半になるはずだ。
 ぼくは隣りに座る女性にペルシア語の辞書をひきながら、「イスタンブール」「到着」「何時?」と尋ねた。その女性はゆっくりと何かを言うが、やはりぼくには伝わらない。紙とペンを渡すと、「6:50PM」と書いてくれた。
 イスタンブールまであと20分。ついにぼくはアジアを完走したのだ。何でもないことだと、つい数日前まで思っていた。飛行機で一直線に飛べば10数時間の距離。ぼくはそれを200日以上もかけてやって来た。
 途方もなく長い道のりだった。孤独の重さに潰されそうになった夜、宿の屋上から一人星空に向かってVサインをした。それはビクトリーのV、自分に向けた勝利への儀式だった。中指と人差し指の間に月を挟みこみ、自分の手の中に形作られる月明かりの三角形を眺める。すると不思議なほど心が落ち着き、孤独が霧散していくのを感じた。
 今日だけは自分に対して、よくやったと誉めてあげたい。そして色々な人に"ありがとう"と感謝の言葉を伝えたい。ぼくは自分が考えるよりも多くの人の善意に支えられ、今日まで生きてこれたのだと思った。

 アジアとヨーロッパを隔てるボスポラス海峡。そこに架かるガラタ橋の上から二つの大陸を眺めた。海を渡る風は秋のものだった。ぼくはジャケットの襟を立てながら、髪を風に流させる。そして、そっと目をつぶった。
「風の声だ・・・」
 その瞬間あの日ぼくが団地の踊り場で聞いたのと同じ、あの風の声が聞こえた。

 真冬の風が強い夜だった。当時17歳だったぼくは14階と15階の踊り場の壁の上に座り、足を宙にぶらつかせていた。ほんの少し身を乗り出せば、もうぼくはぼくではなくなる。しかも、それは一瞬のことだ。
 ベイブリッジの明かりを見つめながら手と足を動かし、ジリジリと体を前へと移動させる。呼吸は荒く、冷たいコンクリートに触れた手には汗をかいていた。あと少し。そして、最後に目をつぶった---
 風の声を聞いたのはそのときだ。突然強風が前から襲いかかり、ぼくの体は後方へと煽られた。風が耳元を抜けるときに聞こえたゴーッという音。それは人間の言葉ではない。風だけが発することのできる、憎悪に似た怒りの声だった。
 ぼくは壁から降りて、歯の噛み合わない口を手で押さえながら、ブルブルと震えていた。額から流れる大量の汗、そして心臓のドクドクという音がぼくの耳の中でこだましていた。
 ぼくはそれ以来、人は最後の瞬間に必ず風の声を聞くのだと思うようになった。そして肉体とは別に、精神だけが風によってどこかへ飛ばされていく。幸か不幸か、そのときぼくの肉体は辛うじて精神をつかまえたのだった。

 ガラタ橋をヨーロッパに向かって歩いた。一歩一歩その感触を楽しみながら、未知なる大陸へと近づいていく。その時ふいに周囲の雑音が遠ざかり、世界の動きが停止した。まるで風にでもなったような気分だ。ぼくはこんな瞬間が欲しくて、はるばるイスタンブールまでやって来たのかもしれないと思った。

 中山芳子はその夜、旅に出たケンジのことを考えていた。もともと自分のことを母親に逐一話して聞かせるタイプの子供ではなかった。5年前事故で他界した夫とともに、子供には自立させるための環境作りが必要だと話し合ってきたこともある。高校や大学の志望先にも一切口を挟まず、本人が希望するなら就職させてもいいと考えてきた。
 ケンジがインドから電話してきたのは、もう1ヶ月以上も前のことだ。何も連絡がないのは無事な証拠と思いつつも、何かあったのではという不安はいつもつきまとった。

 電話が鳴ったのは午後11時過ぎのことだった。
「中山ケンジさんのお母様ですか?」
「はいそうですが、何か・・・」
男は深夜の電話を詫び、トルコの日本大使館に勤務する斎藤と名乗った。
「実は息子さんの所持品が2週間以上も滞在先のホテル部屋に置いたままになっていまして、どうしたらよいかご相談のため、こんな夜中にお電話差し上げた次第です」
「ケンジの所持品・・・ですか?」
「はい、荷物の中には着替えや日記帳も入ったままになっていますので、それを置いてどこかへ行ったとは考えにくいと思いまして。最後に息子さんから連絡があったのはいつのことですか?」
「もう1ヶ月以上も前のことになります。インドからでした」
「それ以来何も?」
「ええ、ケンジに何かあったのでしょうか?」
「今の段階では何とも申し上げることができません。ただ出入国記録を見ますと、トルコからは出国していないようです」
「というと?」
「はっきり申し上げますが、何かの事件に巻き込まれた可能性も否定はできません。息子さんの行き先など、何かお心当たりはありませんか?」
「いえ私にはさっぱり・・・。もしかしたらお友達が何か知っているかもしれません。すぐに連絡してみます」
芳子は斎藤の連絡先を書きとめ、電話を切った。あの時も一本の電話から始まった。芳子は呆然と受話器を見つめながら考えた。
「ご主人が事故に遭われまして、現在危篤状態に陥っております」冷静な男の声はそう告げた。電話はいつも不幸を運んで来る、芳子はそう思った。夫の死、そして今また・・・
 ケンジは昔から用心深い子供だった。男のくせにこれでは先が思いやられると口癖のように言っていた夫・雅治の言葉を思い出した。そうだ、これは何かの間違いに違いない。あの子が事件に巻き込まれるはずがない。ふと気が変わって、どこか別の町にでも行ったのだろう。明日にでもひょっこり戻ってくるに違いない。
 そう考えてはみたものの、一向に不安は消えなかった。芳子はケンジの部屋からアドレス帳を探し出すと、工藤ナツミの携帯電話の番号を押した。ナツミが電話に出るのを待つ間、不自然なほどキチンと整頓されたケンジの机が、芳子の頭を一瞬かすめた。芳子の受話器を持つ手は、小刻みに震えていた。

東京の風人たち